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暴君と呼ばれた光海君(クァンへグン)とは?トンイとの関係と家系図を紹介

2025 1/16
原作・小ネタ
韓国歴ドラ

韓国の歴史ドラマに登場する15代国王の海君(クァンへグン)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。

  • 暴君とされ廃位された
  • 世子冊封の要請を拒絶される
  • 済州島に流刑

各ドラマでは、上記のような出来事を中心に描かれていますが、今回は15代国王の光海君(クァンへグン)の素顔にフォーカスしていきたいと思います!

目次

15代国王の光海君(クアンへグン)はどんな人?

光海君は、李氏朝鮮の第15代国王で、1608年から1623年まで統治。暴君とされ、晩年は流刑にされています。

彼は宣祖王の庶子であり、母は恭嬪金氏です。光海君は、病弱な正室を持つ宣祖王にとって、王位継承者として選ばれましたが、1594年に明から世子としての認定を拒否されました。

彼は日本軍との戦いにおいて父王と協力し、1598年の撤退後は国の復興に努めました。しかし、彼の統治は暴君としての評判を受け、廃位されました。光海君の物語は、朝鮮王朝の複雑な家系と政治の歴史を反映しています。

光海君の性格は?どんな人だったの?

光海君は、暴君として知られていますが、その評価は最近見直されています。

彼の治世は、朝鮮が戦乱からの復興を遂げ、日本や後金といった国々との外交関係を築いた時期でした。しかし、光海君が実際に暴君だったかどうかは、今も議論があります。

彼の時代は、政治的な党派争いが激しく、光海君自身の意志ではなく、周囲の勢力によって政策が決定されることも多かったのです。そのため、彼が暴君であったかどうかは、はっきりとは言えません。

光海君とトンイとの関係

トンイの夫である粛宗は、光海君の子孫です。

光海君は1608年から1623年までの間、李氏朝鮮の第15代国王として君臨しました。

しかし、しばしば彼の王妃と誤解されるトンイは、実際には1670年に生まれ、1718年まで生きた女性で、光海君の時代とは重なりません。トンイの夫は粛宗で、彼は1661年から1720年まで生き、第19代国王でした。

映画「王になった男」でハン・ヒョジュが王妃役を演じたことから、混同が生じたようですが、歴史的事実としては、光海君とトンイは異なる時代の人物です。

光海君の家系図は?妻や側室、息子の名前は?

光海君の母

光海君は、14代国王宣祖と側室恭嬪金氏の間に生まれました。宣祖には多くの側室がいましたが、光海君と兄の臨海君は、同じ恭嬪金氏から生まれました。

光海君の妻

光海君は、柳氏を王妃に迎えました。しかし、柳氏は権力欲が強く、王宮で横暴な振る舞いをするようになりました。そのことが原因で、光海君は廃位されてしまいます。

光海君の子供

光海君は、側室と積極的に子供を作らず、長男と長女の2人しかいませんでした。しかし、クーデターで王位を追われた後、光海君は子供たちと江華島に流罪となり、悲劇的な運命を辿ります。

光海君はなぜ暴君と呼ばれたのか

光海君は1623年に仁祖によって王位から追われましたが、彼が暴君とされる理由ははっきりとはわかっていません。

光海君は兄弟を殺害したと非難されましたが、これは王位継承のために他の王も行っていたことです。また、多くの土木工事を行ったとして民衆の負担を増やしたと批判されましたが、これは国の復興のために必要なことでした。

さらに、明に対する背信行為の非難もありましたが、実際には光海君は国を守るために外交を行っていました。

実は、光海君は税制を改革し、貧しい人々の負担を軽減するなどの善政も行っていました。歴史は、仁祖がクーデターを正当化するために光海君を暴君として描いたことを示唆していますが、光海君が王であった方が朝鮮は安定していたという見方もあります。

15代国王の光海君が登場する韓国ドラマ

各ドラマでは、「暴君」として描かれている、光海君。しかし最近では、汚名を着せられた悲劇の王として、切ないながらも強く生きる姿が反映されています。

具体的に、光海君はどんな風に描かれているのか、ドラマごとに解説していきます。

王の顔

ソ・イングクの時代劇、初主演作です。

韓国ドラマ「王の顔」は、庶子出身の光海君が王になるまでの壮大な物語。

光海君は宣祖王の次男で、一度決めたら最後までやり遂げる強い意志を持っています。しかし、父王の嫉妬により、その聡明さを隠し、低い身分を受け入れなければなりませんでした。

16世紀末の朝鮮では、政治的な闘争と外敵の脅威が常にありました。光海君は王になるべきではないと予言されていましたが、彼は父王の愛を求め、困難を乗り越えて真のリーダーへと成長していく姿が見れます。

王になった男

韓国の時代劇「王になった男」は、ヨ・ジングが一人二役を演じる物語です。

朝鮮王朝の時代に、道化師ハソンが王イ・ホンの影武者となり、宮廷の陰謀に巻き込まれます。ハソンは王と瓜二つの顔で、偶然にも王の代わりを務めることに。

しかし、彼は庶民の苦しみを目の当たりにし、真の王として世界を変える決意を固めます。一方、突然変わった王の優しさに心を動かされる王妃ソウンの心情も見どころの一つです。

ノクドゥ伝~花に降る月明かり

チャン・ドンユンが時代劇の主演に初挑戦した作品です。

若者ノクドゥの冒険と恋を描いた、光海君の時代を舞台にしたドラマ「ノクドゥ伝」。

彼は襲撃者を追い、女装して寡婦村に潜入します。そこで出会ったドンジュと共に、笑いと涙の日々を過ごします。ノクドゥは王の実子であり、ドンジュは王に家族を奪われた過去を持っていました。2人は運命と愛に翻弄されながらも、互いを守り抜く純粋な心を持っています。

このロマンティックな時代劇は、胸キュンと切なさでいっぱいな作品です。

華政

チャ・スンウォンが主演のドラマ。

韓国ドラマ「華政」は、朝鮮王朝の激動の時代を背景に、光海君とその家族の波乱に満ちた物語を描いています。

1608年、宣祖王の次男である光海君は、正式な後継者として認められずに苦悩します。しかし、彼の異母妹である貞明公主だけが彼の心の支えでした。王位継承を巡る争いの中で、光海君は15代王に即位しますが、その後、家族は悲劇に見舞われます。貞明公主は日本に逃れ、硫黄鉱山で過酷な生活を送りながらも、朝鮮への帰還を夢見ます。

このドラマは、チャ・スンウォンが演じる光海君の複雑な感情や、イ・ヨニが演じる貞明公主の勇敢な生き様が描かれています。

まとめ

今回は、15代国王の光海君(クァンへグン)にフォーカスしてご紹介しました。史実やドラマの設定から、光海君には以下のような素顔が見えてきました。

  • 国の復興のためやむをえず増税を行なった
  • 外交に力を入れていたことが国内から批判を浴びていた
  • トンイとは時代が違うため接点はない

光海君は、当時の朝鮮を復興させるために、尽力したという見方もあります。時に身内にも厳しく対応したために、恨みを買い、流刑に追い込まれた可能性も否定できません。

光海君の素顔を知り、改めてドラマを見てみると、また違った面白さに出会えるかもしれません!

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