「十戒」をテーマにした漫画やアニメがありますが、この十戒とはどんな意味なのでしょうか。今記事では、十戒とや7つの大罪やモーセとの関係と意味をわかりやすく解説していきます。
十戒とは
十戒とは、キリスト教やユダヤ教で信じられている、神がモーセに与えたとされる十の重要な命令です。これらの戒めは、信仰者が守るべき道徳的な基準を示しており、良い人間関係を築くための指針とされています。
七つの大罪との関係
十戒と7つの大罪は、キリスト教において道徳と倫理を教えるための重要な要素ですが、それぞれ異なる背景と目的を持っています。
十戒と7つの大罪の関係は、外部行動と内面的態度の違いにあります。十戒が「すべきこと」や「してはいけないこと」を具体的に示す一方で、7つの大罪は心の内に潜む悪徳を警告しています。十戒を遵守することは、しばしば7つの大罪に抗う助けとなります。たとえば、「偶像を拝むな」という戒めは、強欲や傲慢などの大罪を避けることに直接関連しています。
モーセとは?
なぜ十戒が作られたのか、それはモーセの半生を知らなければ、見えてきません。
モーセは、イスラエルの民を物理的な束縛から解放し、精神的な指導者としても彼らの信仰を集めています。彼がこんなにも信仰において特別な尊敬を受けてるのか、答えはモーセの生涯にあります。
モーセの生涯
モーセが生まれた時代、イスラエル人はエジプトで奴隷生活を送っていました。
エジプトの王、ファラオは増え続けるイスラエル人を恐れ、彼らに重労働を課しました。さらに、イスラエル人の男の子全員を殺すという厳しい命令も出しました。
この困難な時期に、モーセはイスラエル人の家族に生まれます。幼いモーセの母は彼を隠し、最終的には籠に入れてナイル川に置いて、彼の命を守りました。その後、エジプトの王女によって見つかり、王子として育てられたモーセ。
成人してから同胞が苦しむ姿を目の当たりにし、エジプト人を殺害してしまいます。これが原因でファラオに命を狙われ、モーセはミディアンに逃れて40年間隠れる生活を送ります。
その後、神の啓示を受けたモーセは、奴隷のイスラエル人をエジプトから解放し、約束の地カナンへ導く使命を受けます。モーセはエジプトに戻り、ファラオと対立。最終的にはイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、カナンを目指します。途中、エジプト軍を振り切るために起こった、海を割って渡る有名な奇跡も展開されます。
十戒の内容とは?
では、モーセが決めた十戒とは一体どんな決め事なのでしょうか。
- 他の神々を持ってはならない
- 偶像を作ってはならない
- 神の名をみだりに唱えてはならない
- 安息日を守りなさい
- 父と母を敬え
- 殺してはならない
- 姦淫してはならない
- 盗んではならない
- 偽証をしてはならない
- 隣人のものを欲しがってはならない
では、詳しく解説していきます。
【第一戒】他の神々を持たない
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
第一戒めは、イスラエルの民に向けた重要な教えです。
エジプトから出てきた彼らは、ナイル川や牛など、あらゆるものを神として礼拝していましたが、ヤハウェのみを神とするよう命じられています。彼は聖なる存在で、他のどの神々とも異なります。現代においても、私たちは自分を支配するもの、例えば財産や情欲などを神として拝むことがありますが、そのようなものは神様ではないという教えです。
【第二戒】偶像を作らない
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」
他の神々を持つことだけでなく、被造物を模して偶像を作ることも禁じられています。
これは、彫刻などの芸術を禁じるのではなく、これらの像を神として拝む行為を偶像礼拝と見なすためです。神は霊であり、信者は霊と真実をもって礼拝すべきという教えです。神と崇めるものをお金で買ったり、売ったりすることは、依存となり偶像となるということ。
【第三戒】神の名をみだりに唱えない
「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」
第三戒めでは、神の名を軽々しく使わないことが求められています。
神の名はその性質や働きを映し出しており、敬意を持って用いるべきです。キリスチャンが神の名を名乗りつつ、その教えに従わない行動を取る場合、これも神の名の乱用とみなされます。日常的に「神に誓って」「俺が神だ」などと軽はずみに使うことも避けるべきであり、神の名は常に尊重して呼び求めるべきだと教えられています。
【第四戒】安息日を守る
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」
安息日は、労働から休息を取るための日であり、特に神に捧げられた聖なる日とされています。
六日間の労働後、第七日には一切の仕事をせず、全ての人々—家族、奴隷、さらに家畜や在留異国人までもが—休息を享受します。この制度は、イスラエルの民がエジプトの連続労働から解放されたことを記念しています。また、安息日は神が創造の後に休息されたことを反映しており、その日を特別なものとして祝福し、聖別しています。
【第五戒】父母を敬う
「あなたの父と母を敬え。」
第五戒め「あなたの父と母を敬え」は、個人が神に従う方法としての親の敬いを強調します。
これは、両親が子どもにとって神の代理人のような存在であることを示しています。地上で親を敬う行為は、神への信仰と服従を象徴しており、その実践を通じて神の命令が体現されます。この戒めは、長寿と繁栄を約束し、信者が与えられた地での生活が豊かになるよう導きます。また、新約聖書では、この戒めが再び強調され、親への従順がクリスチャンの義務とされています。
第六戒「殺してはならない」
あなたは人の命を奪ってはならない。
第六戒め「殺してはならない」は、意図的に命を奪うことを禁じています。
これは、すべての人が神の似姿で創造され、神に愛されているため、命を奪う行為が神の存在を否定することにつながるからです。新約聖書によれば、怒りや憎しみも同等の罪と見なされます。また、警察の正当な武力使用や行使は、この戒めに違反するとは限らず、聖書には「正義の行使」として正当防衛に関しては一部許可も言及されています。
第七戒「姦淫してはならない」
あなたは姦淫してはならない。
この生理的欲求は結婚内でのみ行うよう定められており、聖書では結婚外での性行為を情欲と定義し、それを姦淫と呼びます。
イスラエルの民が不品行が礼拝の一部であった異教のエジプトから救い出されたことを思い出しましょう。また、新約聖書では、物理的な行為だけでなく、情欲をもって異性を見ることも姦淫とされ、律法の霊的な側面を強調しています。律法において外側の行為が完璧であっても、心の内面で罪を犯している場合があります。
第八戒「盗んではならない」
あなたは盗んではならない。
盗みは、泥棒行為や詐欺、万引きに限らず、借りたものを返さない行為や、仕事を怠ることも含まれます。
これらの行為は、時間や資源の持ち主への不正行為とみなされます。さらに、学生がカンニングをすることは知識の窃盗、不正乗車は運賃の窃盗、脱税は政府への罪にあたります。新約聖書では、盗むことをやめ、労働を通じて他者を助けることが奨励されています。人の物を盗むことは神の与えた祝福を無視する行為と定めています。
第九戒「偽りの証言をしてはならない」
あなたは隣人について、偽証してはならない。
偽証は、虚偽の言葉によって他人の名誉を傷つける行為です。
これは物理的な盗み以上に深刻な影響を及ぼすことがあり、広がった噂によって個人の信用が長期にわたり、時には生涯に渡って損なわれることもあります。ヤコブは「舌は私たちの体を汚し、人生を破壊する火のようなもの」と表現しています。新約聖書によれば、偽証は単なる嘘以上の意味を持ち、他人を欺く行為全般を含みます。
第十戒「隣人のものを欲しがってはならない」
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
最後の戒めは、内面的な欲望、すなわちむさぼりに焦点を当てています。他の戒めが具体的な行為を禁じているのに対し、この戒めは欲望そのものを扱います。むさぼりは他の多くの罪へとつながる原動力となります。たとえば、他人の財産を強く欲する心、他人の配偶者に対する欲望、自身の行為を隠す欲求、権威を自分も欲する心を持たぬよう教えています。
まとめ
十戒は単なる厳しいルールではなく、厳しい時代に人を愛するための指針として作られました。教えに従い、実践することで、自然とこれらの律法を守ることができるようになると考えられています。
十戒をテーマとした漫画やアニメはたくさんあります。このページで紹介したことを参考にしたら、よりストーリーが面白くなるかもしれません。